日本人写真家「記憶と光」展 ヨーロッパ写真美術館 「Mémoire et Lumière」Photographie Japonaise, 1950-2000 La Donation Dai Nippon Printing.co.,Ltd. MEP Paris 2017

2017/08/12
「Mémoire et Lumière」Photographie Japonaise, 1950-2000
 La Donation Dai Nippon Printing.co.,Ltd.

MAISON EUROPEENNE DE LA PHOTOGRAPHIE
Ville de Paris

ヨーロッパ写真美術館(パリ)

8月27日まで開催中の上記の展覧会をみてきました。
1950年から2000年までの日本人写真家の作品を紹介する展覧会「記憶と光」
というもので、大日本印刷の寄贈作品です。
土曜日ということもあり行列ができるほど会場は混んでいました。

ヨーロッパ写真美術館(MEP)のHPはこちら↓


私が子どもの頃から家に写真集があり親しんできた木村伊兵衛(Kimura Ihei)の作品はあらためてみてもやはり突出してよかったです。
土門拳の作品がないのが残念でした。なぜ?という感じです。
大日本印刷の寄贈と書いてあるので、その中になかったのでしょうか。

土田ヒロミの広島の爆心地となった場所の15年前と15年後を撮った作品ははじめて見ましたが、記録的な作品として意義ある興味深いものでした。
地下ではアラーキーのドキュメンタリー映像を上映していました。
近代の日本人写真家を紹介する展覧会としては大きなもので、見応えがある内容でした。

それぞれの説明は以下に↓




入り口の垂れ幕 






入り口はセキュリティチェックもあるので
行列になっていました 









まずは見ていった順に↓
全部載せると量がたくさんありすぎで大変なので
気になった写真だけ。



田原圭一(たはら けいいち)
1951-昭和後期-平成時代の写真家。
昭和26年8月20日生まれ。昭和48年パリでの個展「都市」でデビュー。52年「窓」シリーズでアルル国際写真フェスティバル大賞。60年木村伊兵衛賞,東川賞。「光の写真家」といわれ,写真表現の幅をひろげたモノクローム作品で国際的に活躍する。京都出身。写真集に「ファン・ド・シエクル」「TAHARA KEIICHI 1973-1983」「田原桂一 光の彫刻」など。











バルテュスの兄の「ピエール・クロソウスキー」
をパリのアトリエで撮った作品
味のある撮り方です



ここでは著名なアーティストシリーズのような感じで
芸術家を撮った作品が並べられていました






その中に、「クリスチャン・ボルタンスキー」を発見!!

若い !!
下↓のキャプションに、1979と書いてあるので
今から28年前! 若いはずです。
でもその頃すでに有名だったということですね。











年月は経っているのに、写真はいつまでも変わらない。

当たり前ですが。

ボルタンスキーのこの頃と今の眼の感じは同じ。
などと思いながら。





さあ、木村伊兵衛です。
これは嬉しかった。久しぶりにパリで見られたので。


Wikipedia から↓

木村 伊兵衛(きむら いへい 1901年12月12日 - 1974年5月31日)
20世紀に活動した日本の写真家。戦前・戦後を通じて活動した日本を代表する著名な写真家の一人。
報道・宣伝写真やストリートスナップ、ポートレート、舞台写真などさまざまなジャンルにおいて数多くの傑作を残している。特に同時代を生きた写真家、土門拳とはリアリズム写真において双璧をなす。


土門拳とは双璧をなす、と書かれていました。
そうでしょ!だから、一緒に土門拳も展示するべきです。
Wikipediaにだって書いてあるのに。








この秋田美人が最初にきているのはなんともいえません。
この女性の真摯で透き通った視線がとても良いのです。








この写真をみている女性のように、若いうちに
世界中の優れたものに出会える機会があるパリはいい
とつくづく思います。 






秋田シリーズで印象的な一枚








この食堂で呑んだくれた人の写真も印象的。
懐かしいような、映画「寅さん」の時代を想いおこさせます。














浅草橋ガード下の親子




私も浅草橋には母と子どもの頃からよく行きました。
問屋に用があって、今でも母と行きます。

写真というのは、時代を超えて、誰もが見ただけで
その時間を共有できるメディアではないでしょうか。

パリジャン、パリジェンヌ達は木村伊兵衛の写真を
どうみるのか。
反応が気になるところでした。
良いものは良いと、人種は違っても同じ人間として
共通点があり、国境を超えて通じるものがあると
思いたいです。






















そして、次は細江英公です。

細江英公(ほそえ えいこう 1933年3月18日 - )
日本の写真家。本名は敏廣(としひろ)[1]。東京工芸大学名誉教授。
山形県米沢市に生れ、東京で育つ。1951年に富士フイルム主催の「富士フォトコンテスト」学生の部で最高賞を受賞する。 翌年、19歳で東京写真短期大学(現 東京工芸大学)に入学。 評論家の福島辰夫は、土門拳らのリアリズム派にない彼の人間味に注目。
美術家瑛九と交流を深め、既成概念に挑む作家の精神を受け継ぐ。1954年同大卒業。福島の主宰する「十人の眼」展に参加。その後写真家集団「VIVO」をともに立ち上げる。三島由紀夫の裸体写真集「薔薇刑」や秋田の農村を舞台に舞踊家の土方巽をモデルにした「鎌鼬」を発表。2003年9月18日、英国王立写真協会の記念式典で「生涯にわたり写真芸術に多大な貢献をした写真家」として特別勲章を授与された。2010年10月には文化功労者に選出された。息子の細江賢治も同じく写真家。

緑色の壁が妙にしっくりと作品にあっていました↓







左壁の作品は三島由紀夫の裸体写真

「薔薇刑」ばらけい


















秋田の農村を舞台に舞踊家の土方巽をモデルにした「鎌鼬」。

鎌鼬(かまいたち)とは日本の妖怪のこと。

Wikipediaより↓
鎌鼬(かまいたち)は、日本に伝えられる妖怪、もしくはそれが起こすとされた怪異である。つむじ風に乗って現われて人を切りつける。これに出遭った人は刃物で切られたような鋭い傷を受けるが、痛みはなく、傷からは血も出ないともされる。

別物であるが風を媒介とする点から江戸時代の書物では中国の窮奇(きゅうき)と同一視されており、窮奇の訓読みとして「かまいたち」が採用されていた。

「かまいたち」という言葉は「構え太刀」(かまえたち)の訛りであるとも考えられている。「いたち」という語から江戸時代中期以後、鳥山石燕の『画図百鬼夜行』などに見られるように鎌のような爪をもったイタチの姿をした妖怪として絵画にも描かれるようになり、今日に定着している。











この左側の作品が、今回の展覧会のパンフの表紙になっていました。






確かにインパクトはありますよね 





次、アラーキーです。

荒木 経惟((あらき のぶよし、1940年(昭和15年)5月25日 - )
日本の写真家であり、現代美術家である。
「アラーキー」の愛称で知られ、丸い縁の黒めがねをトレードマークとする。


Wikipedia、存命中だからって紹介文が短すぎっ!
なので、荒木経惟オフィシャルサイトを↓

http://www.arakinobuyoshi.com/main.html


少しだけ書くと、
電通に入社後、写真集「さっちん」にて、第1回太陽賞受賞。
アラーキーの名を世に知らしめるきっかけとなります。
電通時代に知り合った同じ電通に勤務していた陽子さんと知り合い結婚。
その時のハネムーンを撮った作品「センチメンタルな旅」は私も写真集を持っています。その作品が最初の入り口に展示されていました。
その後、電通を退社しフリーとして活動していくわけです。







センチメンタルな旅 1971年
東京都写真美術館蔵 ゼラチン・シルバー・プリント


展示はこの写真からはじまります。
奥様・陽子さんとの結婚式からハネムーンを撮った作品。

「センチメンタルな旅」

ところで、この展覧会が、いま東京都写真美術館で開催中で
そのHPがこちら↓

https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2795.html




























奥様の陽子さんが42歳の若さでお亡くなりになった写真から
火葬場で骨となった写真も展示してあります。
その後、愛猫のチロちゃんが被写体に。



私はこの”センチメンタルな旅”は、私小説的で好きで、
励まされるというか、アラーキー本来の良さがでていると思っています。
愛しのチロ、は写真集もあります。

アラーキーが天才と言われる所以は、こういう誰もが感情移入できる作品を
撮る事ができるからです。














日付はわざと。
アマチュア写真のようですが、そうではなく
日記のように、この作品では日付が入ることが大事なのです。











他の会場風景↓














次は、土田ヒロミです。

土田 ヒロミ(つちだ ひろみ、1939年12月20日 - )
福井県南条郡今庄町(現・南越前町)出身の写真家。本名は宏美。男性。
福井県立武生高等学校、福井大学工学部卒。ポーラ化粧品本舗(現・ポーラ)の開発部に勤務しながら東京綜合写真専門学校に通う。1971年よりフリーとなる。
東京綜合写真専門学校校長を務めた後、2000年より大阪芸術大学教授となる。
現在、大阪芸術大学写真学科客員教授。
「人の群れ」に対して焦点をあてた写真を多く撮る。
代表作は『俗神』『砂を数える』。 ニコンサロン運営委員。
2008年、土門拳賞受賞。











広島に原爆が落ちた時にどうしていたか、どういう状態だったか
語っている言葉とその後何年か後の本人を撮っている作品











右は広島の爆心地地図、この撮影が行われた場所に印が。
左が15年前、真ん中は15年後。 
15年後、桜の木は消えています。 





写真が撮られた場所に赤印が。


こういう記録的な写真は色々なことを考えさせられます。  
私は、土田ヒロミさんという写真家は知りませんでしたので
実は、女性かと思っていたら、男性でした。

今回の展覧会でこういう広島の原爆についての記録的な写真を撮っている
写真家がいるという事を知り、意義深いことだと思うと同時に、この写真の
ねらっていない、奇を衒っていない撮り方にとても好感をおぼえました。 






原爆の後に残った物をそれぞれ単体で撮った作品




 


こういう作品は、ディテールをみたくなり
私もじっと見入ってしまいます。 




他の作品、会場風景 ↓






















ヨーロッパ写真美術館内から






ヨーロッパ写真美術館のこの赤ジュータンの
螺旋階段は風情があります









そして、最後に、以前カフェだったところの奥に
森村泰昌の作品が。 


森村 泰昌(もりむら やすまさ、1951年6月11日 - ) 
日本の現代芸術家。
セルフポートレートの手法を使い、自らの身体を使って
世界的に有名な絵画や有名人などを表現する。
大阪市在住。


















Photos©︎Uran-AsakoK.
Uran-AsakoK.©droits réservés



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