追悼 美術評論家・日夏露彦さん Memorial service, For Tsuyuhiko Hinatsu.


 美術評論家の日夏露彦さん(本名:中島洋光、1938年生、日本近・現代美術史研究家)が2021年10月15日にお亡くなりになりました。
葬儀は家族葬で行われたそうです。
突然の悲報。まだ心の整理がつきません。

 私が日夏露彦さんと出会ったのは、2001年の私の銀座での個展の時なので、20年来の知り合いという事になります。
たまたま私の個展に来廊され、作品を気に入って下さり、アートヴィレッジで刊行されていた「展評 てんぴょう」という季刊誌(展覧会をとり上げ評論を載せる雑誌)に私の個展・作品について評論を書いて下さったのが最初でした(てんぴょう008号p69に掲載)。
通りがかりに偶然みた見ず知らずの作家の個展を美術評論家がとり上げて評論を書いて下さった事に感激したのを覚えています。
 その後「展評」で書かれていた評論をまとめた「日本美術・負の現在」を出版されました(アートヴィレッジ発刊・私の評はp588)。
 日夏さんとの最初の出会いである2001年の私の個展「彼らは一体どこに行ってしまったのか。- Où donc sont-ils partis? -」は、父の遺稿をまとめた本の出版記念もかねての個展で、フランス文学者でサルトルの研究者であり50代半ばで他界した父へのオマージュとして、父が何度も読んで原文の文章に線を引き書き込みをしていた部分を切り取り鉛にコラージュした作品によるものでした。
 この日夏さんによる評論のタイトルは「小西朝子展ー”実存者のアナムネーシス"」というもので、「雨風に打たれ腐食したようなマチエールと激しい圧力で一部波状に折り畳まれる方形鉛板ーそのところどころに横文字の印刷物から剥ぎ取ったような断片がは貼りついている。アンダーラインや書き込みが見えかくれする」という初見からはじまります。
「そこに貼りついている文字がフランス語の書物、哲学書の断片であり、この物質と言語のドラマを非情とパッションで演出するエスプリは見過ごせない」と書き、そしてサルトルの実存主義について語り、「物質と言語の対置に抵抗感覚をしのばせるここには、たしかに不条理きわまりない現実と戦い、のり越えようとする実存主義の息遣いを髣髴とさせるものがある」と作品について書かれています。
「ただ底知れぬ虚無へ引きずり込まれるサスペンスなリアリティがいまひとつ弱いうらみは残る。言語やフレーズに対して、それこそ”無益な受難"をつきつける荒涼とした物質感は対置されるが、ソフィスティケートされたデザイン的センスがブレーキとなったのだろう」とも書き、そして最後に「これら戦闘的な実存者をアナムネーシス(想起)することですすめる造形の試みはこれからも注目したい」と書いて下さいました。
久しぶりに読んでみましたが、的確に作品について解説して下さっているだけでなく文章から熱量と人柄が伝わり、ずっと一貫した信条を持っておられた事が今になってより一層分かります。
 美術家(芸術家)というのは、一人でひたすら自分を信じて制作し続ける職業であり、美術評論家に作品について書かれるという事は、社会的評価というものを得る第一歩、という大きな意味があります。
評論家がある美術家(芸術家)をとりあげて文章を書く、というのは、一般の人が書く感想文とは違います。そういう意味で私には大きな価値となっているのです。

 私はパリと日本を頻繁に行き来していたのもあり、長らく年賀状でのご挨拶程度の付き合いになってしまっていましたが、それでも毎年届く特徴的で達筆な日夏さんの文字を見ては励まされてきました。
 お電話で何度か長話したのは2019年、パンデミックが起こる前で、2020年4月にパリで開催予定だった私の個展に際し、推薦文のようなものを書いて頂いた時です。
その時、文化庁芸術家派遣で受け入れ先になって頂いたクリスチャン・ボルタンスキー氏(2021年7月14日逝去)についてのお話や最近の作品について、長い空白を埋める為に色々なお話をしました。
その推薦文の末文では、「亡父仏文学者のもとで育ち、今東京で開催中の人間の実相に衝撃的に踏み込むクリスチャン・ボルタンスキー芸術にもつながる深くして詩趣ある探求は、益々バック・アップされていい」と書いて下さいました。

 日夏さんのご家族のお話として、アメリカ在住のお嬢様の事や、年賀状に写真があった飼い猫についてなど、とても嬉しそうに愛情たっぷりで話されていたのも印象に残っています。
日夏さんお勧めの本の挿絵の話になった時、私も挿絵や装画を描いている「水路」という同人誌があるとお話したところ、お送りする事になり、それがきっかけで24号から日夏さんも投稿されるようになりました。24号だけかと思っていたところ、続けて投稿され、意欲的に執筆されていると思っていたのでした。
 パリで開催予定だった2020年4月の私の個展に来たいとおっしゃられて、パリに来る場合の事も色々とお話したのが最後になってしまいました。
新型コロナウイルスによるパンデミックで個展も中止になり、神田でお蕎麦を食べる約束も果たせず、お会いする事自体が出来ず、そのまま逝かれてしまうとは、想像もしていませんでした。
 お会い出来なかったせいもありますが、あまりにあっけなく逝ってしまったという感じがしています。
 改めて、日夏露彦さんに、心からの敬意と哀悼の意を表します。

2021年10月17日









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