今、また 2月28日(2014)から パリに来ています。
パリに来ると、時間の流れがゆっくりになります。
前回ヴェネツィアへ―、と書きましたが、昨年11月、ヴェネツィアビエンナーレをみるのが目的で、パリから飛行機で行ったのでした。飛行機だとパリから2時間ぐらいでもうイタリアです。
ヴェネツィアは、来訪6回目ぐらい。
なので、懐かしい風景がひろがっていました。
やはり運河はいいです! 水面をみていると、心が癒されていく感じ。
それに、車が街にはいれないので、交通手段は船―ヴァポレット―だけ、これもヴェネツィアの良さの1つでしょう。
さて、ヴェネツィアビエンナーレ。。。これ↓をみに行ったので、この感想を。
先に書いておくと、批判的感想は、日本館だけです。 あとは、よかった館や作品をのせています。すべてみた中で、良いと思った館は順に以下になります。
1:フランス館 2:チリ館 3:ドイツ館 4:イタリア?ヴェネツィア館?(映像作品だけ) 5:ヴァチカン(一部だけ) 6:アルゼンチン館
55th International Art Exhibition
2013年6月1日(土)−11月24日(日)
1st June > 24th November 2013ジャルディーニ、アルセナーレなど
2014年
日本館
田中功起 「抽象的に話すこと − 不確かなものの共有とコレクティブ・アクト」
Koki Tanaka 「abstract speaking - sharing uncertainty and collective acts」
Commissioner: The Japan Foundation. Curator: Mika Kuraya.日本館の展示 |
↑↑共同で作業/制作する過程をおさめたビデオ作品をインスタレーション形式で展示 そして、国別パビリオン部門ではじめて日本館が特別表彰された。
という事で、少しは期待をして?行きましたが、私の感想を一言でいうと、
”実験的な試みの研究発表会みたいで、芸術性には全く欠ける。観念的すぎる”
その上、福島の原発以後、日本の美術がいかに変わったか。。。とかとやっている。。。。
天災での被害によって美術界が以前と以後に考え方が変わった、となっている。。。。
おかしい。。。かなり独りよがりではないか、と思いました。
そういう風潮と影響はありますが、それを全面にだすのは、芸術というものをまったく分かっていない、実は無個性のアーティストのやることです。
海外からみると、なにしろ大変な災害だったし、これが特別賞をあげなければならない、と思った理由ではないか。。。とすれば、正当な評価ではありません。(正当な評価というのが存在するかどうかという問題はおいておいて)
社会的な問題提起はいいとしても、作品としての見え方が、学校の課題の発表会のような、コミュニケーション問題などの研究の発表会のようなものになっているのはいただけません。
震災時の再現とかで 空間に土嚢を置いたり 展示の仕方もなにこれ?という感じで、なんだかごちゃごちゃしており、ビデオの見せ方もレベルが低い。
これが国の代表の芸術家の展示か。。。と
日本には芸術が存在していない、と大声でいっているような。
見せ方に関して、センスというものが全くありません。
このアーティストを選出したキュレーターそのものが理科系で芸術的な素養がない人なんじゃないかと思いました。
画像をみて考えさせられるとか、文章を読んで納得させられるとか、せめてそういうものがあればいいのですが、感動や感情移入など、なにもありませんでした。
やはり、芸術というものは、一般の人がみても、パッとみて分かる、感動できるものでありたい、感情移入できるものであってほしいです。
作品をみる人にとって、それぞれの心をうつす鏡としての役割をもつもの、それが芸術作品です。
長々しい文章を読まされて、???マーク点滅し、また長々しいビデオを観て、それで??という気分になり、、、、 そういう作品には、怒りを通りこして、文化的・哲学的素養がなくて無理なんだからやめたらいいのに、と言いたい。 得るところなく、かえって害です、はっきりいって。
やたらと難しくするのは、本当のところが何もわかっていないからです。
シンプルイズベスト という言葉がありますが、芸術の世界でも直接的に感情にうったえるものは
一見するとシンプルなものなのです。
それで、気分が重くなって、ひと休み~~~、と目の前にフランス館が
フランス館は、そういえば注目の、アンリ・サラのラヴェルの作品だ!と思い、はいってみると。。。
そこは、ドイツ館! びっくり仰天の館のとりかえっこ♪ さすがの余裕です。
ドイツ館
そこには、、分かりやすい世界がひろがっていました!
かなり気分スッキリ
そうでなくちゃねー、という感じ。
この椅子のつらなりで、なにか人間のつながり、世界のつながり、というものを考えさせられます。
すでにある日常の物、造形物で こうやってダイナミックに伝えられるのです。
日本館のアーティストは、なぜ実験的なレポートみたいなもので、コミュニケーションについてああだこうだとそれでなくても観念に陥りやすい世界を余計分かりにくくして、ましてそれが芸術だと思っているのか?、と比較したくもないのに、比較しちゃいます。
ちなみに、これはドイツ館ではありますが、中国人アーティストの作品です。
そこもすごいですね。国の代表として、多国籍のアーティストの作品が展示されていました。
フランス館
フランス館がドイツ館になっていたのも、音響の作品としては、ぴったりでした。
箱状で、天井が高く広い空間に壁面全体を防音装置がほどこされ、大音量でながれる、ラベルのピアノ曲(左手のための協奏曲)と2人のピアニストの左手の映像は、すばらしく、感動的でした。
ずっと1日、ここで観て、聴いていたいと思えるほどでした。
チリ館
”実験的な試みの研究発表会みたいで、芸術性には全く欠ける。観念的すぎる”
その上、福島の原発以後、日本の美術がいかに変わったか。。。とかとやっている。。。。
天災での被害によって美術界が以前と以後に考え方が変わった、となっている。。。。
おかしい。。。かなり独りよがりではないか、と思いました。
そういう風潮と影響はありますが、それを全面にだすのは、芸術というものをまったく分かっていない、実は無個性のアーティストのやることです。
海外からみると、なにしろ大変な災害だったし、これが特別賞をあげなければならない、と思った理由ではないか。。。とすれば、正当な評価ではありません。(正当な評価というのが存在するかどうかという問題はおいておいて)
社会的な問題提起はいいとしても、作品としての見え方が、学校の課題の発表会のような、コミュニケーション問題などの研究の発表会のようなものになっているのはいただけません。
震災時の再現とかで 空間に土嚢を置いたり 展示の仕方もなにこれ?という感じで、なんだかごちゃごちゃしており、ビデオの見せ方もレベルが低い。
これが国の代表の芸術家の展示か。。。と
日本には芸術が存在していない、と大声でいっているような。
見せ方に関して、センスというものが全くありません。
このアーティストを選出したキュレーターそのものが理科系で芸術的な素養がない人なんじゃないかと思いました。
画像をみて考えさせられるとか、文章を読んで納得させられるとか、せめてそういうものがあればいいのですが、感動や感情移入など、なにもありませんでした。
やはり、芸術というものは、一般の人がみても、パッとみて分かる、感動できるものでありたい、感情移入できるものであってほしいです。
作品をみる人にとって、それぞれの心をうつす鏡としての役割をもつもの、それが芸術作品です。
長々しい文章を読まされて、???マーク点滅し、また長々しいビデオを観て、それで??という気分になり、、、、 そういう作品には、怒りを通りこして、文化的・哲学的素養がなくて無理なんだからやめたらいいのに、と言いたい。 得るところなく、かえって害です、はっきりいって。
やたらと難しくするのは、本当のところが何もわかっていないからです。
シンプルイズベスト という言葉がありますが、芸術の世界でも直接的に感情にうったえるものは
一見するとシンプルなものなのです。
震災グッズなどを置いている。。。
これでは芸術ではなく、震災の報告会みたい。
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それで、気分が重くなって、ひと休み~~~、と目の前にフランス館が
フランス館は、そういえば注目の、アンリ・サラのラヴェルの作品だ!と思い、はいってみると。。。
そこは、ドイツ館! びっくり仰天の館のとりかえっこ♪ さすがの余裕です。
ドイツ館
そこには、、分かりやすい世界がひろがっていました!
かなり気分スッキリ
そうでなくちゃねー、という感じ。
この椅子のつらなりで、なにか人間のつながり、世界のつながり、というものを考えさせられます。
すでにある日常の物、造形物で こうやってダイナミックに伝えられるのです。
日本館のアーティストは、なぜ実験的なレポートみたいなもので、コミュニケーションについてああだこうだとそれでなくても観念に陥りやすい世界を余計分かりにくくして、ましてそれが芸術だと思っているのか?、と比較したくもないのに、比較しちゃいます。
ちなみに、これはドイツ館ではありますが、中国人アーティストの作品です。
そこもすごいですね。国の代表として、多国籍のアーティストの作品が展示されていました。
ドイツ館正面の展示室 椅子の作品 |
中国人アーティストの ダイナミックな椅子の作品 ドイツ館 |
これは、インド人アーティストの作品― ドイツ館 |
心にうったえかけてくる映像でした |
フランス館がドイツ館になっていたのも、音響の作品としては、ぴったりでした。
箱状で、天井が高く広い空間に壁面全体を防音装置がほどこされ、大音量でながれる、ラベルのピアノ曲(左手のための協奏曲)と2人のピアニストの左手の映像は、すばらしく、感動的でした。
ずっと1日、ここで観て、聴いていたいと思えるほどでした。
フランス館 アンリ・サラ 「ラヴェル ラヴェル アンラヴェル」
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チリ館は、公園の方ではなく、造船所跡の、アルセナーレの方にありました。
ここは、私がフランス館の次に気にいった作品です。
最初は、水がはってある池みたいなのがある、と思いたたずんでいたところ、
なんと水の中から建物が浮上してきたのです!
浮上してくる都市が、どこかでみたことある。。。?
あ!! これってヴェネツィアビエンナーレの国別パビリオンの場所 !!!
チリ館は、ジャルディー二に常設の建物がないので。。。
皮肉的な作品の感じでもあります。
が、いつ沈むかしれないと言われているヴェネツィアの運命もあらわしているような。
沈んでしまうと、静まりかえり、静謐な空気が流れ、なんとも、感動的でした。
ここは、私がフランス館の次に気にいった作品です。
最初は、水がはってある池みたいなのがある、と思いたたずんでいたところ、
なんと水の中から建物が浮上してきたのです!
浮上してくる都市が、どこかでみたことある。。。?
あ!! これってヴェネツィアビエンナーレの国別パビリオンの場所 !!!
チリ館は、ジャルディー二に常設の建物がないので。。。
皮肉的な作品の感じでもあります。
が、いつ沈むかしれないと言われているヴェネツィアの運命もあらわしているような。
沈んでしまうと、静まりかえり、静謐な空気が流れ、なんとも、感動的でした。
だんだん浮上してきます |
ヴェネツィアビエンナーレの国別パビリオンがあるジャルディー二会場が、池のような水の中から、浮かびあがったところです。 違う角度から ↓↓↓ 今度は沈んでいきます |
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