Carte Blanche à Tino Sehgal, Palais de Tokyo, Paris

パレ・ド・トーキョー(パリ)で開催されているティノ・セーガル(Tino Sehgal、1976年イギリス生) の展覧会に行ってきました。
パフォーマンスかと思いきや、並んだ先には… 何もない美術館の空間をたまたま前後になった数人(3人)でまとまって、案内係がする色々な質問に答えながら、会話をしながら歩くという…
初めての体験でした。

・最初の案内係は小学生ぐらいの男の子で、”Progrès 進化”について。
・次は高校生ぐらいの女の子、”伝統とテクノロジー” について。
・そして大学生ぐらいの男性は、”正義” について。
・最後は、年配の女性… ”家族や自分の人生” について語っていましたが…
途中で一人の女性と話し込みはじめたので、神妙に聞いてるのもなんだかバカバカしくなって途中でお先に失礼しました。。。その後、地下の展示室には苔が生えた場所や植物やら。

ティノ・セーガルは「構築された状況」(constructed situation)と呼ぶ作品で、彼の考えた指示をパフォーマーが実行する(セーガル本人はそこにはいない)作品を発表しているけれど、今回の意図はどこにあるのか。案内係がだんだん歳をとっていくことに気がつきましたが、それは成長の過程をあらわしているのか。それともそれは偶然でまったく関係ないのか。 
ところで、Carte Blanche という展覧会名は、白紙委任状、白紙(署名だけしてあって自由に記入できる)という意味があります。 

まったく何もない美術館の空間をグループのかたまりが会話をしながら歩く様子が何やら不思議な光景だったので、その様子を写真に撮ってもいいか聞いたところ、写真はダメとのこと。
セーガルは、作品の売買時に、指示の文面、領収書、カタログ、写真が一切存在しないように要求しているらしく、どんな形の記録も残されないようにしている為なのか。
記録や形を残さないというのは、本来の美術のあり方とは正反対の事であり、それは驚きはあるけれど、徹底して行われるものだろうか、という疑問もあり、コンセプト上の事だけで実際には不可能ではないか、と思えます。 実際に今までのパフォーマンスはビデオでyoutubeなどに残ってしまっているわけですから。 

セーガルは、ベルリンで政治経済を、エッセンでダンスを学び、2000年からアーティストとしての活動を始めたとの事で、やっぱりなぁ、となんとなく納得。
コンセプチュアルアートは、理解を要求して押し付けがましい事があります。
展覧会名のように、白紙なのだから、考え方も自由で良い、という事なのか。
それなら、観客を参加させて質問をする形式自体が自由ではないように思えてきます。

自由という意味の概念をもう一度はっきりさせた方がいいのでは、と
久しぶりにもやもやした気分になった展覧会でした。
展覧会と書くのは場所が美術館だからで、私は苦手な参加型パフォーマンスでした。
ただ、「こんなのがあった」と誰もが初めての体験に話題にはなるわけで、政治経済学を勉強してきた人が考えそうな内容だと思いました。

Palais de Tokyo 『Carte Blanche à Tino Sehgal』12/10-18/12/2016



パレ・ド・トーキョーは、先の投稿のビュッフェ展を開催している
パリ市立近代美術館と向かいあわせにあります。
今回は、対照的な作品の展覧会でした。



入口



入口の空間天井だけ水玉模様
いつもの展示室の空間にはなにもありません



地下展示室につくられていた苔





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