岡本太郎 NHK連続ドラマ 第2話

3月5日土曜日、岡本太郎のNHK連続ドラマ第2話をみました。
1話については先のブログにも書きましたが、2話はパリ編の青年期なので、今度こそがっかりするかもと思いつつ観ましたが、案の定で。。。
最後の美輪明宏のダミ声喉ならしシャンソンでまたぶっっと吹き出し、何をみたのか忘れてしまうほどでした。
かのこ役の寺島しのぶは今回もよかったですが、太郎に関しては、青年期の役者は八の字眉毛だけが似ているだけで弱弱しすぎるし、万博の太陽の塔の時代の大人役はメイクでなんとか似させようとしているだけで、俳優の元々の顔にしまりがなさすぎる上に、手が毛むくじゃらで、実際とあまりに違うので、問題です。彫刻やピアノをひいている手(の写真)をみた人は違うことに気がつくでしょう。あんなに色白の毛むくじゃらではありません。(あの役者はなんであんなに毛むくじゃらなのか!芸術家は手から生み出すのだから手が肝心、役になりきるには顔ばっかりでなく手を似させなればだめです!)3話以降はとくに出番が多そうなので、観るのを躊躇します。
顔にしても、岡本太郎はスキーをする時にも一番疲れるのが ”あご” だと答えているのです。いつも歯をくいしばって生きてきたのだから、ひきしまった顔をしていなければおかしい。そうなると適役者を見つけるのは難しい、役者不足という事ですかね。。

特に演出不足だと思ったところは、パリに住んでからすぐのところ。パリ在日本人の絵描き達の住処らしきところでの場面ですが(父親の知人の紹介という人のところに最初はいる)、みそ汁をすすめられて太郎がその絵描き達になんでパリにまで来て日本食を食べ、日本人同士でしか集まらず、フランス語も学ばずに(一切フランス語を話す気がないという事はイコール文化も学ぶ気がないという事)一体パリになんの為にいるのか、と問いただすのですが、その相手の日本人に反対に絵を見せてみろと言われみせると、父親みたいに漫画家になった方がましじゃないか、と言われ腹がたってセーヌ河畔でイーゼルと絵の道具を蹴っ飛ばすシーン。そんな日本人達になにを言われようと、セーヌ河畔で腹立ちまぎれに画材を蹴っ飛ばすような(だいいちなんでセーヌ河畔なのか)器の小さい人間ではないはずで、自分自身や表現すべきものが見つからずに葛藤をしていたというのは事実ですが、この演出ではまるで意味あいが違ってきます。
ずっと昔に読んだので一言一句同じではないですが、ここは印象深いのでよくおぼえている箇所だからです。つまり、パリに住み制作するようになると、グランシュミエール(14区にある有名な画塾でいまもある)に集まっている日本人画家達は、いつも日本人だけで集まっては日本食を食べ、囲碁や将棋を日がな一日している、日本がそのままパリにあるような生活で、なぜパリにいるのかという意義や目的が一切感じられない、そういう日本人の画家グループとはまるで生き方が違うので一切決別し、離れたところに自分の居場所を置いた、と太郎がパリ滞在初期に明確に決意する瞬間があるのです。
フランスの真の文化にふれるには、フランス人の中にいなければならず、それには言語は第一関門です。 だから岡本太郎はそう決意した後フランス語でコミュニケーションがとれるように、血のにじむような努力をしたはずです。話しは違いますが、仏人と結婚してパリに住んだ女優の岸恵子にしてもかなりの努力家だと思います。

芸術家気取りの中途半端な日本人達にとって、パリにいる意味は、ヨーロッパ人モデルのヌードを描く事や売れそうなパリの風景画などを日本へ輸入すること、それで何も本当のフランスの思想や文化などに触れる事なく、芸術が分かっているような顔をしている、つまりは真剣に自分の人生に立ち向かってはいない、そういう同国人とは自ら完全に距離をとった、というような文章を学生の頃に読んだ記憶があり(もっと的確な表現だったと思いますが)、その時にまったく私も同意見だと思ったのです。私がパリに住むようになった時も、今でもそういう日本人はみかけます。

今回のドラマでは、そういう所の肝心な部分の演出が特に注意や注目される事なく、絵を中傷されたから腹がたって画材をけっとばす、という誤解を生むような演出になっていたのが残念でした。
そういう同国人と決別し、フランス人として生きる、といっても言うのは易し、でその後のドラマでもやっていましたが、大変な孤独と向き合って生きる事になります。まず創作について行き詰まり、アイデンティティの問題をかかえ、日本人社会にも仏人社会にもはいれず、唯一の理解者である両親から遠く離れて異国にいる孤独、というものはすさまじいものなのです。これは経験した事がない人には本当には理解できません。ましてや、当時のパリというのは今と違って行くのには全財産を持って命がけに近い感覚、島国の日本に住む一般庶民にとってははるか彼方の彼方、のような距離感だった時代です。ドラマでも母親の死の知らせの電報が届いていましたが、部屋で国際電話ができるわけがなく、メールもスカイプもなく、すぐに帰れるような距離ではない、今とはまるで時間の感覚が違う次元での話しなのです。
こういう環境で太郎は若い時期に自分と徹底的に向かいあい、ゆるぎのない強靭な精神力というものをつくりあげた、という所をもっと強調してやってもらいたいと思いましたが、ドラマというものはどんなものでも軽くなるので無理な注文でしょうか。

強靭な精神力と深い経験を持っているからこそ、あの明るくユーモアのあるウィットに富んだ会話をする人間像になるわけですが、それも同じような経験や環境にあった人でないと理解しにくいかもしれません。 だから、テレビに出て、芸術は爆発だ!と手を広げる奇想天外な人、という印象になってしまうのです。
そこら辺を一般化せずに、ドラマという一般市民がみる媒体で、明るい岡本太郎とは、当時のパリと日本で誰よりも真剣に、自分に(芸術に)向き合って生きたコスモポリタンである、という観点からちゃんとやるべきではないかと思います。

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