2010.10.22 クラクフ→アウシュヴィッツ国立博物館へ(バスで1時間半ぐらい)
当初は個人でバスか電車でオシフィエンチム(アウシュヴィッツ国立博物館のある町)まで行く予定でしたが、クラクフからバスで行けるガイドツアーがたくさんあり、初めて行くのでツアーで行った方が移動の問題や時間のロスがないのでいいのではないか、という事になり英語のツアーに参加。本当はフランス語のツアーにしたかったのですが、日時があわず英語に。もちろん日本語のツアーはありません(日本の旅行社でやっているのはあると思います)。アウシュヴィッツ国立博物館には日本人の公認ガイドさん(在オシフィエンチム)がいますが、事前に予約をとっておく必要があります。この中谷剛さんというガイドさんは本も書いていますので事前に読んでいかれると理解が深まっていいです。私もこの本を持参して訪れました。
おすすめの書籍
◉アウシュヴィッツ博物館案内 中谷剛著 凱風社
◉ホロコーストを次世代に伝える 中谷剛著 岩波ブックレットNo.710
◉アウシュヴィッツの地獄に生きて ジュディス・S・ニューマン著 千頭宣子訳 朝日選書
◉アウシュヴィッツは終わらない プリーモ・レーヴィ著 竹山博英訳 朝日選書
他にもいろいろ読みましたが、読んでいる時間のあまりない方にはこの4つがおすすめです。
訪れる前に再度観た映画(アウシュヴィッツ関連映画)
◉夜と霧
◉ライフ・イズ・ビューティフル
(パリからクラクフへ向かう前日にもたまたまTVでやっていて、フランス語吹き替え版もみました)
◉シンドラーのリスト
◉ゴールデンボーイ
◉愛をよむ人
◉縞模様のパジャマを着た少年
◉アンネ・フランク
◉コルチャック先生と子供達
◉ヒトラーの贋札
◉善き人のためのソナタ
◉わが教え子、ヒトラー
他にもいろいろと観ましたが題名を忘れてしまいました。思い出したらまた付け足します。
ポーランド関係としては
◉カティンの森
アウシュヴィッツへ向かうバスの車窓から見た景色(以下の写真すべて私の撮影)
アウシュヴィッツ国立博物館が混んでいたのでビルケナウ収容所跡の方を先に訪問
この木製ベット1カ所につき2人から5人も押し込まれていた
開放時(1945年)の室内の様子の写真 |
トイレ |
トイレの穴のサイズが以外と大きかった こんな寒々しいところで10秒以内に
しなければならなかったという話しには胸がつまります
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囚人が運ばれてきた貨物列車 1車両だけおかれている |
有刺鉄線がずっと続くのですが
その有刺鉄線の支柱の形が人が うつむいて並んでいる姿にみえてきました。 |
ビルケナウ強制収容所跡は広大な敷地であることを実感 |
証拠隠滅の為、SS隊員によって退去前に破壊されたクレマトリウム(ガス室)
慰霊碑に置くために私の展覧会で作品に使った石を母が持ってきていました |
国別の慰霊碑があり、日本のはないのでフランス↑の慰霊碑にこの石を置いてきました
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慰霊碑にはそれぞれの国の言語で同じ内容の文章が刻まれている |
夕暮れになってきて私達の影が地面にうつっている |
ビルケナウを後にして、アウシュヴィッツへ(すでに夕暮れになっていた)
アウシュヴィッツ国立博物館へ
ARBEIT MACHT FREI『働けば自由になる』の門 実際には働いても働いても自由にはならなかったのですが… |
念願かない、とうとう来れたので母とその記念に撮影 |
ポーランド美人の英語のガイドさん 意志的な良い顔をしていた |
ガス室でつかわれたチクロンB(毒薬) |
ビルケナウのクレマトリウム(ガス室)の内部の様子を説明する模型 |
ガス室で虐殺した遺体を焼くのが間に合わなくなると野焼きをした その証拠写真 |
虐殺した死体の髪の毛からこういう生地をつくった |
倉庫から見つかった何トンという髪の毛 |
建物の入口にかかげられた言葉 |
子供の靴 |
大人の靴 |
膨大な量の靴の山 それでも実際はもっとあったのだから驚く |
靴墨の缶 |
死の壁 この壁はコンクリに見せかけていて、 鉄砲の音が反響しないようにフェルトのような生地でできている |
最後にガイドの案内でガス室内部をみる |
外はすっかり日が落ち、このガス室が見学ルートの最後だった(PM6:00頃) |
様々なポスターがあり、売店で購入できる 私は靴のポスターを購入 |
今回訪れた事は私にとってはとても意義がありました。
また近い将来に再度訪れようと思いました。今度はツアーではなく個人で。。。
ツアーだとガイドについていかなければならず時間内に早いスピードでまわるので、次回はもう少しゆっくりと時間をとり、じっくりとみていきたいと思っています。
Photos by Asako K.