09/04/2017 Marché au Puces de Vanves.
9日日曜日はヴァンヴの蚤の市へ
ヴァンヴの蚤の市は午前中なので、眠い眼をこすりながら、なんとか頑張って行ってきました。
朝からぐんぐん気温が上がり、25度ぐらいの夏日和☀️陽射しが強くて大変でした。
なかなか目当ての物が見つからず、隅から隅までみましたが、なんとなく以前より全体的に値段が高くなった感じがします。
他の観光地ではめっきり見かけなくなった日本人もヴァンヴの蚤の市ではチラホラ見かけました。
スマホ人口が増え、インターネットの情報が簡単に得られる今、売り手も何がいくらで売れるかリサーチが簡単になり、ますます値段が高くなっていくのではないか、と心配になります。
ですが、今日も目当ての物・掘り出し物に出会えました👍 粘り勝ち!
蚤の市は、物を見る眼がないと、ただのガラクタの山に思えるでしょう。
ヴァンヴの蚤の市は午前中なので、眠い眼をこすりながら、なんとか頑張って行ってきました。
朝からぐんぐん気温が上がり、25度ぐらいの夏日和☀️陽射しが強くて大変でした。
なかなか目当ての物が見つからず、隅から隅までみましたが、なんとなく以前より全体的に値段が高くなった感じがします。
他の観光地ではめっきり見かけなくなった日本人もヴァンヴの蚤の市ではチラホラ見かけました。
スマホ人口が増え、インターネットの情報が簡単に得られる今、売り手も何がいくらで売れるかリサーチが簡単になり、ますます値段が高くなっていくのではないか、と心配になります。
ですが、今日も目当ての物・掘り出し物に出会えました👍 粘り勝ち!
蚤の市は、物を見る眼がないと、ただのガラクタの山に思えるでしょう。
アンティークの宝庫でもあり、実際ガラクタのような物もあり、色々ある中から見つけるのが面白いのです。
山とある中から自分にとっての宝物を見つけて、それが値段交渉で思いがけず安く買えた時は、なんともいえず嬉しいものです。
山とある中から自分にとっての宝物を見つけて、それが値段交渉で思いがけず安く買えた時は、なんともいえず嬉しいものです。
瓶の中身は、顔料のようでした。瓶が味があります |
親に連れられて子どもの頃から蚤の市を訪ずれていたら古い物に対する感覚も違ってきますね |
いろいろな道具を見るのも楽しい |
スタンプが懐かしい |
このおじさんはいつも蚤の市で演奏しています |
そろそろ調律をした方が良さそうな音ですが・・
記念切手のコレクション本 |
日曜日朝の清々しい空気の中での蚤の市巡りはとても楽しいのです |
束買いしたのですが、たくさんの昔のシャンソンの楽譜の中にマンドリンの楽譜もありました! 弾いてみよう 😉✨
そして、この古く茶色がかった色あいはここまでなるにはそうとうの年月が必要。
私にとってはそこが大事なポイント、貴重な材料なのです。
この日のヴァンヴの蚤の市でのこと。
この写真の場所↓ではなく、木の根っこのところで、小椅子の写真を撮っていたところ、ヴァンヴの主の様なマダムが、”これはなんてこった!”、と話しかけてきました。「素晴らしい、素晴らしいアイデアだ、木のところにそのプティシェーズ(小椅子)、なんてこと!」と何度も何度も感激して言ってるのです。
この小椅子は、ヴァンヴの蚤の市で見つけたものだから、この場所で撮らないと、ということで撮ってたのです。
それはどうも…としか言えず、その場を後にし、蚤の市を見てまわり、帰る途中、またその大きなマダムが眼の前に。
「さっき小椅子を木のところで撮ってた人でしょ!ねぇ、あなた!!」と感激口調でまた話しかけてきました。
「そうですよ、私の作品でアートワークなのです」と答えたところ、「でしょ!素晴らしい!さっき見てて、感激したの。すごいことですよ、あんまり感激したから伝えたかったの」 と言うのです。
…この小椅子は、フランスの伝統工芸の手法でつくられていて、教会の椅子も同じ。
人形の椅子としてもヨーロッパでは子どもの頃から見てきてる椅子なので、反応が強いです。 もちろんこの反応の強さは、撮りはじめてから分かった事なのですが。
つまり、この小椅子は、子ども時代の記憶を呼びおこす物であり、それが表現としてどこかに置かれると、エモーショナルな状態になる、詩的な形態なのです。
それは、私がこの小椅子に出会った時と同じ。
私が生まれた時から家にあった椅子は、48年前に母がパリの蚤の市で買って日本に送った椅子で、”ゴッホの椅子”と呼んでいました。
ゴッホの絵に描かれている藁で編まれたあの椅子は、教会にある椅子と同じ、フランスの伝統工芸の椅子なのです。
この小椅子をヴァンヴの蚤の市で見つけた時、子どもの頃から見てきたゴッホの椅子と同じだ!と感激したのを覚えています。
つまり、この小椅子は、子ども時代の記憶を呼びおこす物であり、それが表現としてどこかに置かれると、エモーショナルな状態になる、詩的な形態なのです。
それは、私がこの小椅子に出会った時と同じ。
私が生まれた時から家にあった椅子は、48年前に母がパリの蚤の市で買って日本に送った椅子で、”ゴッホの椅子”と呼んでいました。
ゴッホの絵に描かれている藁で編まれたあの椅子は、教会にある椅子と同じ、フランスの伝統工芸の椅子なのです。
この小椅子をヴァンヴの蚤の市で見つけた時、子どもの頃から見てきたゴッホの椅子と同じだ!と感激したのを覚えています。
買った帰りにもうベンチで写真を撮っていたのですから、それがはじまり。
この小椅子をヨーロッパで撮っていると、「プティシェーズ!!」と老人から大人から子どもまで、よく話しかけられます。
まるで昔からの友人に出会ったかのように。
この小椅子をヨーロッパで撮っていると、「プティシェーズ!!」と老人から大人から子どもまで、よく話しかけられます。
まるで昔からの友人に出会ったかのように。
モン・サン=ミッシェルでも教会の中で撮っていたところ、通りがかりの修道僧に話しかけられました。 「なんて美しい。ミラクルが起きそうだね」と。
「La chaise voyageuse」
Puces au Vanves, France.
09042017
©︎Uran-AsakoK.
「旅する椅子」
ヴァンヴの蚤の市, フランス
09042017
Photos©︎Uran-AsakoK.
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